2011年04月23日
20日、21日と三陸の地を踏みました。陸前高田から大船渡、釜石、宮古へと。今まで何度も足を踏み入れたことのある街ですが、現実に目の前に広がる光景に、言葉を失い、カメラのシャッターを押すことができませんでした。
震災以来、初めて上京した宮古のとりもと社長が帰り道に寄って泊まっていかれ、そのまま同乗させていただいて訪ねた三陸でした。かつて、長野県王滝村の大地震や神戸の震災でも現地に伺っていましたが、そこでなにが起きたのか、この目で確かめたかったのかも知れません。
あるはずのものが、何もない。街ごとさらわれてしまった陸前高田。ささやかな支援物資がなんの役にたったのだろう。笑顔のない再会。そこで自分にできたことは、消えた街に向かって、ただ手を合わせることだけでした。
この日やっと全面開通した東北本線の各駅停車を乗り継いで岐路につきながら、ひとつだけ、明確に思ったことがありました。「がんばろう、オレ」と。
三陸の被害は津波によるものがほとんどで、地震そのものの被害は栃木の方がよほどひどい印象です。多くの屋根瓦が落ち、大谷石の塀も崩れ落ちています。私どもの工場でも隣の山が山津波を起こし、山ごと崩れてしまっています。さらに、農作物の出荷停止で、多くの生産者が苦しんでいます。
いま、自分がやらなくちゃならないことが、少し見えてきた気がしています。