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1. 「有機大豆」のほとんどが輸入大豆である現実
2001年10月、おかげさまで私共の会社は、法人に組織変更してちょうど設立10周年を迎えました。4月に社名を変更したのですが、五月女商店、(株)春駒味噌醸造、そして(株)はるこま屋へと、ここまで育て、支えてくれたらでぃっしゅぼーやの会員の皆さん、スタッフの方々、そしてたくさんの刺激をあたえてくれた全国の生産者のみなさんに、改めて心から御礼を申し上げたい気持ちでいます。
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、らでぃっしゅぼーやの創設当時、私は雑誌の編集の仕事をしておりました。「くらしの木」「元気くん」「ギフトカタログ」などの取材や編集に携り、たくさんの生産者の方々を取材させていただきました。皆さんの「食」や「農」に対する真摯な姿勢やまなざしに触発され、私は活動の拠点を原稿用紙から味噌蔵へと移したのです。カラダがオイシイと感じてくれるもの。そんな食べ物を、作り、届けてみたい。それは、大地と太陽と水と風と、そこに手を加える人間がいて、育くまれ、届けられる、この星の「いのち」そのものであり、私たちの「いのち」そのものに生まれ変わるものです。お金やモノのやりとりだけでなく、「いのち」を共有する、その糧を守り育てていく、そのシステムに、私もより深く参画したいと思いました。
あれから10年、「食」をとりまく環境は、めまぐるしく変化しました。スーパーには、あたりまえのように「有機野菜」が並べられ、「有機大豆使用」の豆腐や納豆、味噌、醤油があふれるようになってきました。その一方で、果してこれは正しい情報が伝わっているのだろうか、そして、本当に私たちが望んだ世界なのだろうか、という疑問が、絶えず頭の中にわいてきています。
「自給自足」という生活が、生きていく上での基本的な営みであると、私は考えておりますが、そんなことを言っていてはこのご時世、誰も生きていけなくなってしまうことも、わかっているつもりです。ただ、「有機大豆」のほとんどが輸入大豆であるという現実を前にしたとき、私は「有機」であることを求めてきたのか、と問われれば、それは違うと言い切れます。
例えば、オーガ二ック輸入大豆と慣行栽培の地元産大豆があるとすれば、私が選ぶべきものは後者であるに違いありません。この国で、生産現場が成り立つようなシステムを構築していくことが必要不可欠であると思うからです。自分で食べ物を生産することは経済的にも環境的にも成り立たない、だから分業化し、第一次から第四次産業まで、それぞれの役割を果たしているはずです。しかし、それが自分は愚か、地域でも、更にこの国でも、成り立たなくなりつつある。そのことにとても脅威を感じています。
この頃、「スローフード」という言葉をよく耳にします。イタリアの片田舎で始まったというこの運動は、ファーストフードに象徴される現代の食生活を見詰め直し、ゆっくりと、ゆったりと「食」を大切にしていこう、という運動だそうです。大きな活動テーマとして「伝統の食を大切にしよう」「小さな生産者を大切にしよう」「子どもたちに本当の味を伝えよう」などをあげているのですが、これはまさに我々がこれまで表現し、築こうとしてきたことではないか、と思いました。
いつでもどこでも均一の品質であることが、ファーストフードの最大の特徴であり、また人気の大きな要因ではないかと思います。しかし、今や日本中を同じ色に染めつつあるこのような状況が「正しい食」だとするならば、私どものようなメーカーは、やがて消えていく運命にあるのだろうと思ってしまいます。こと自然界のミクロな微生物との共同作業をしている弱小醸造屋にとって、通年的に均一な品質なものを出荷することは極めて不可能に近い作業であるからです。
そんな思いがしていた中で「スローフード」という言葉に出会いました。少し、救われたような気がしています。これから私たちが守っていくべきこと、創造しなければならないこと、などが改めて見えてきました。この機会に、私どもが日々感じたり、見つめているものたちを、少しでもお伝えできたら、と思っています。そしてそれが、お互いにとって、より心地良く暮らしていくための素材になることができれば、と願っています。
2. 価格破壊という現象に思うこと
価格破壊」という言葉を聞くようになって久しくなります。このところ「デフレ」という言葉に置き換わってきたような気もするのですが、このような消費活動を続けていったあとに待っているのは、どんな社会なのだろか、とつい考えてしまいます。
私の住んでいる町は山に囲まれた小さな田舎町で、これといった産業もなく、いくつかの誘致企業や小さな縫製工場がある程度です。これらがこのところ相次いで大幅な規模縮小、もしくは閉鎖に追い込まれているようです。なにかを生産するには、人件費も、原材料も、地代も高くて採算がとれなくなってきているのでしょう。生産、或いは製造の現場が、消えて行く。しかし、このままでは、この国では、誰も、何も作らなくなってしまうのではないか、と思ってしまいます。こと、食料に関してなど、本当にそれでいいのだろうか、と思わずにはいられません。
作るよりも買った方が安い。たとえば、農家でも、売るための野菜は作っても、自分で食べるための野菜は作らなくなってきているといわれてきています。自分で作るよりも、スーパーで買った方が「安い」からです。また、私どものような小さな醸造屋は、大手メーカーから見ればすでにお客さん的な存在になってきています。製造するために必要な設備や労働力、衛生管理などにに資本を投下し、リスクを背負うよりも、「買って」しまった方が「安く」て「ラク」だからです。
例えば、現地産の無農薬大豆、無農薬米を使用しているという海外で作られた味噌なども、私どもの原料原価よりも安い価格で営業に来られたりします。しかも、それがスーパーなどで私どもの味噌よりも高い価格で販売されたりしています。一瞬、身体の力が抜けそうにもなります。しかし、私の生業は、ただ原料を購入し、加工して販売しているだけではありません。どんな原材料を使うか、ということは、誰に対して、何に対してお金を支払うか、ということとイコールです。守りたいもの、育てたいものが、そこにはあります。
何も生産しない国、できない国。それをみんなが望み、選ぶならそれもアリなのかも知れません。残るのは、流通と情報だけなのでしょうか。しかし、少なくても、そうなったときのことを想像し、認識しておく必要はあろうかと思います。
思えば小学生の頃、友人たちの親の職業といえば、商店か農家でした。今より豊かではなかったでしょうが、それでそれぞれに成り立っていたのだと思います。やがて農家が勤めに出て兼業になり、商店も店をたたみ始めました。「いやー、勤めの方がよっぽど気がラクだよ」みんな、口々にそう話していたのを、思い出します。しかし、それらの工場が、次々に閉鎖。リストラ。この町に、何が残ろうとしているのでしょうか。
縫製工場に勤めていた知人に、「ところで、ご自分の衣類はどこで買っていたんですか?」と聞いてみたところ、安売り衣料店だと答えてくれました。つまり、自分で製造したものを、自分では消費していなかったということです。これでは、その縫製工場のニーズはなくなるはずだと思うのです。
生家が商店だった私は、自ずと買い物はお得意さんのお店がほとんどでした。それは正直なところ不自由ではありましたが、お互いに支えあっていたことを考えると、必要な行為だったのだと思います。
何かを買う、お金を払う、という行為は、或る意味で相手の経済活動、企業活動を応援する、支援する行為だと思っています。それが社会的に必要なものであれば、誰かが支え、或いは育てていくべきでしょう。「高い」「安い」よりも、もっと大切な座標軸があるはずです。そう考えると、「価格破壊」という現象は、この国における生産現場の破壊を意味し、やがては自分たちの生活の破壊につながっていくのではないかとさえ、思います。
土や水を汚さない農業、そんな農業を志し、土と向かい合っている方がいらっしゃいます。そんな方に、原材料を作っていただきたい。そしてありがたいことに、そんな私どもの作る味噌を、楽しみに待っていてくれるお客さんがいらっしゃいます。ですから、より喜んでいただけるようなものを作るために、頑張りたい。そんなことを、改めて思っているこの頃です。
3. 「あるちざん」 あらまほしき味噌
昨年夏から「元気くん」(らでぃっしゅぼーやのカタログ)で扱っていただいている「春駒みそ・あるちざん」という味噌があります。この味噌が生まれた背景、そしてその後の取り組みには、私の思い描いていたひとつの味噌の「そうあってほしい」姿があるのです。
坂東さんが大豆を作りたいと言っている。その大豆で味噌を作ってみないか・・・。4年ほど前のことでしょうか。そんな話しをらでぃっしゅのスタッフからされたとき、涙が出るほど感激してしまいました。これまで自分がしてきたこと、見てきたもの、感じてきたこと、それらの延長線上に在る今。そのひとつの結晶としてこの味噌が生まれてくるような気がして、嬉しくて、ありがたかったからなのでしょう。
坂東さんに出会った頃の私は、編集者としてらでぃっしゅにかかわっていました。そして、坂東さんは、らでぃっしゅの「顔」でした。覚えている方もいらっしゃるかと思います。なだらかに広がる富良野の丘と、そこに在る、坂東さんの笑顔。それだけで充分でした。誇り、自信、愛情、ポリシー…言葉を超える迫力が、その写真から伝わってきました。その坂東さんが春駒味噌を愛用していると聞いたときには、嬉しかったと同時に、緊張したものです。
坂東さんの作った大豆で味噌を作る。それそのものに、夢を感じました。この味噌には、味噌に対してできることは、何でもしてあげよう。米洗いから、板麹での製麹、大豆の蒸し方、混合、木桶熟成…まだまだ私の力の及ばないところはあるとは思いますが、それでも最大限のことはする、そう心に決めて、仕込みに向かいました。
それから一年半、大豆の作付けからは二年以上の歳月を経てやっとデビューを迎えたその味噌を「あるちざん」と名づけました。命名したのは、私の妻です。「あるちざん」とは、英語の「artisan」からとった名前で、「職人」の意味です。
かつて編集者として仕事をしていた頃、相棒の写真家を一冊の本をつくりたいと考えていました。日本全国に残る、手仕事の技。その美しさと必要性を、写真と文章で表現し、伝えてみたいと思っていました。そのとき、相棒の写真家が提案したタイトルが、偶然にも「artisan」でした。単なるノスタルジアではなく、技術の伝承、地域のポテンシャルを生かした社会、経済、教育など、その世界が内包する世界は、果てしなく広いのではないかと考えています。
手仕事から機械化に移行はできても、機械から手仕事に戻すことはできません。そして、人間の技や力、勘といったものは、まだ機械が及ばない部分も、多分にあるはずです。何が新しく生まれた美しさで、何が失われた大切なものか、それをいつも見つめていなければならないと思うのです。
こうしてみると、「あるちざん」は、私のライフワークともいえる作品(敢えて、そう呼びたい)のようです。単に原材料を買い、味噌をつくり、売るだけでなく、そこにかかわるひとつひとつにこだわりたいし、大切にしたい。そして、そこにかかわるすべての人たちが「プロ」であるべきです。あの表情をもった坂東さんの作った大豆だから、春駒みそを愛してくれていた坂東さんの作った大豆だから、大切に仕込みたいと思いました。そして、大切に育てたいと思いました。1年目よりも2年目、そして3年目と、確実に大豆の出来も、味噌の仕上がりも向上していると自負しています。
4年目の作付けだった今年は、大豆の品種を変えました。私が、味噌に最も適しているのではないかと思っている大豆です。また1年後を楽しみにしていて下さい。
「あるちざん」は、進化していきます。 米をつくる人。大豆をつくる人。塩をつくる人。そして味噌をつくる人。70年前、この木桶をつくったじっち(桶屋のじいさんをそう呼んでいた)。蔵のほとりを流れる武茂川。竹林に遊びにくる小鳥たち。ゆったりと流れる時の流れ。この味噌を見守ってくれている「らでぃっしゅぼーや」のスタッフのみんなや会員さんたち。そんな愛すべき「あるちざん」たちに囲まれて、ひとつの味噌が生まれ、育っている。そのことに、改めて感謝しています。そして、だからこそ、がんばらなくちゃな、と気をひきしめて、今日も味噌にむかうのです。
4. 味噌屋は、もっと「味噌」を大切にしなくてはならない
毎年冬に「元気くん」で扱っていただいているアイテムに「手作り味噌キット」という商品があります。おかげさまで毎年好評で、年々手作り味噌に取り組まれる会員さんが増えていることを、とても嬉しく思っています。
よく醸造の世界では、「蔵ぐせ」「桶ぐせ」という言葉が使われますが、その言葉通り、味噌も熟成させる場所(環境)によって仕上がり具合はかなり異なってきます。例えば私どもの蔵でも、桶によって(桶そのもののくせや蔵の中での位置)、或いは仕込み時期や出荷のタイミングによって、仕上がりはそれぞれに異なりますし、同じロットで製造した仕込み味噌(熟成する前の段階の味噌)でも、熟成させるご家庭によって、やはり仕上がりは異なります。これは、空気中にいる微生物(酵母菌や乳酸菌)の働きによるところが多く、人間にはまだ支配できない領域のものなのかも知れません。
手作り味噌の場合、夏場にカビ類が発生したりして不安になることもあるようですが、よほどのことがない限り、秋にはおいしい味噌に育ってくれています。一番やっかいなのはカビですが、味噌はまたカビによって育てられます。自然の怖さと強さを教えられる作業でもあります。手間も時間もかかりますが、「自分で自分の食べ物を作る」ことでが食べ物」に対する知識と愛着を深めるきっかけになっていただければ、と思っています。
今日ほど「食べる」ことにリスクを感じる時代はなかったかも知れません。だからこそ、「食」に対する正しい情報と知識が必要だとも思います。そして、本来在るべき「食」を、より自分の手に取り戻したいものです。
ここ20年ほど、「減塩運動」の定着によって、塩の味が前面に出てしまう味噌や醤油が目のかたきにされてきたような感があります。しかし、みそ汁一杯の塩分は1.5グラムほどで、そう気にするほどの量ではありません。さらに、味噌に含まれる塩分は果して人間にとって有害なのか、と考えると、そうとも言えないように思うのです。大切なのは、摂取することだけでなく、余分なものを「排出」すること。
そこで活躍するのが、微生物(バクテリア)です。 味噌に含まれる微生物には、腸内の腐敗菌や有害物を対外に排出する働きがあり、味噌の効用のひとつとして注目されています。しかし、酵母や乳酸菌が生きていると、袋が膨張したり、表面に産膜酵母という白いカビ状のものが発生することがあるため、味噌にアルコール添加や熱殺菌をして発酵を抑えて(つまり、微生物を死滅させて)出荷するところが、一般的になっています。しかし、それは流通上の都合であって、味噌そのものの品質を維持することとは、少し意味合いが異なります。逆に味噌そのものの力を半減させることになり、「生きている味噌」をお届けしたいと考えている私どもではそれらの作業は行っておりません。
味噌屋は、もっと「味噌」を大切にしなくてはならないと思うのです。 カビも酵母菌も同じ微生物の仲間ですが、ただひとつ、微生物について確信をもっていることがあります。それは、人間をはじめ、すべての生命体は、微生物によって生かされている、ということです。目には見えないのでなかなか気づきにくいことですが、それなくして「いのち」は成り立ちません。ところが、近代化学は、その微生物を死滅させることばかりを追求してきたような気がするのです。はたしてこれで、人間の生命力が育めるのか、疑問に思わざるを得ません。
「天人合作」…私どもの味噌には、そんなコピーをつけさせていただいてます。大地と海の恵み、蔵伝統の技、ゆるやかな時間の積み重ね、自然の力…そんなものたちがひとつになって、味噌は生まれてきます。手作り味噌も、同じです。それは、農業も漁業も、自然を相手にしている仕事には、同じことが言えるのかも知れません。
ところで、手作り味噌に取り組まれた会員さんから「春駒みそよりおいしい!!」という感想をいただくことがあります。嬉しいような、悔しいような…。しかし、そう思える味噌に出会えたことは、何にも代え難い喜びに違いありません。だからほんとうは、そんなとき、やっぱり私も嬉しいのです。
5. 「食べ物」を選ぶことは、未来の「自分自身」を選ぶこと
味噌を生業として10年、思えばこの間、ものの見方や考え方は、随分変わってきたと実感しています。学生時代やライター時代には、知らなかったことや気づかなかったことを思い知らされてきたからでしょうか。
たとえば、私たちが毎日口にしている「食べ物」。ただ「食べ物」だと思いがちですが、これらはやがて「自分自身」になっていくものです。ですから、「食べ物」を選ぶことは、未来の「自分自身」を選ぶことに等しい行為だと思うのです。そしてそれはあくまで「選ぶ」ものです。
以前、東京で街を歩いていたとき、あるファーストフードの店の前のボードに野菜の生産者が書かれていて「栃木太陽の会」「あゆみの会」など、見慣れた名前が出ているのを見つけ、思わず嬉しくなって店に入ってしまいました。そのとき「嬉しく」なった自分を見て気づいたのは、私たちの関係は「生命を共有する親戚づきあい」のようなものではないか、ということです。
「らでぃっしゅぼーや」というネットワークを通して、食べ物を作る人、運ぶ人、食べる人、それらをまとめる人たちが、それぞれの得意とする分野を精一杯にがんばる、という関係で成り立っているわけです。ただの「モノ」や「お金」のやりとりだけではない、「生命を共有」している仲間として。そのことに、改めて喜びを感じました。そしてそれは、或る意味でネットワークの中での自給自足に近い形態とも言えるのではないかと思えるのです。
私の母は、私が出かけるときに、必ずおにぎりをにぎり、持たせてくれます。私自身は、「飽くなき食の探求者」として外食も楽しみなのですが、この頃、おにぎりを持たせてくれる意味がわかりかけてきました。自分が作ったものを食べさせておく、ということが、一番安心なのだろうと思うのです。それが「母性本能」なのかも知れません。
この国には古くから「身土不二」という考えがあり、四里四方で採れたものを食べていれば、病気にかからない、ともいわれています。自然の恵みというものは実にありがたいもので、初夏にとれる麦は身体を冷やし、秋にとれる米は身体を暖めてくれる働きをしてくれます。自然が、人を守っていてくれるのです。
「食べる」「食べさせる」という言葉の意味を、もう少し深く考えたいと思います。太陽と、土と、水と、そんな大自然の恩恵を受けながら、私たちの「食べ物」は生まれ、育てられています。そんな現場のことを、食べている方々にも、理解していただきたい。そして、私たちも食べる方々のことをよく理解した上でのモノづくりに務めなければならないとも思います。それらは私たちの生命を育んでくれる、大切な糧であるということを、いつも忘れないように。
「あの人が作ったものだから安心できる」そんな関係を、らでぃっしゅぼーやは作り、育ててきました。そしてこれからも、そのつながりは強くなっていくものと信じています。そこからは、母のおにぎりにも似た「あたたかさ」と「安心」が伝わってきます。
「顔の見える関係」を超えた「心の通う関係」へ。ココロもカラダも健やかでいられるために。そこには、土や水を汚さない農業や、化学物質に頼らない食品加工に向かい合っている人たち、そしてそれを応援してくれている人たちが、たくさんいます。それが嬉しい。ヨロコビはココロの栄養です。
そう、つくる人も、はこぶ人も、たべる人も、つたえる人も、みんな「生命の共有」している、大切な仲間なんですから。
五月女清以智
はるこま屋代表取締役
*らでぃっしゅぼーや会員誌「お話サラダ」2001年掲載原稿から
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