「僕は君が好きだよ」

あんべ光俊が陸前高田市で開催したコンサートの際、作った曲のタイトルだ。この町には、そう歌わせるたくさんの仲間たちが暮らしている。

「全国太鼓フェスティバル」、1989年から陸前高田市で開催されているイベント。全国の太鼓叩きがそのステージに立つことを夢見ている、「太鼓の甲子園」。実行委員会は地元在住の住民の皆さんで組織されている。固定された組織ではなく、毎年募集され、大会終了後には解散する。全国的にも類を見ないネットワーク組織かも知れない。


「俺は『日本一の駐車場係』になる」駐車場担当者の言葉だ。イベントの際、実行委員会の中で一番敬遠されるのが、実は駐車場係だ。苦労して舞台を作り、自分はその舞台を見ることもできず、お客さんの来場と帰宅をひたすら誘導する。「でもな、駐車場係でしか味わえない喜びがあるんだ。お客さんが喜んでくれて、いい笑顔で帰ってくれること。あの笑顔は、駐車場係にしか見ることはできない」・・・すごい人たちだと思った。そんなスタッフがいるイベントが、失敗するはずはない。この催しはやがて「太鼓の甲子園」と云われるようになり、入場チケットも発売と同時に完売するほどのイベントに育っている。

この町の「学校給食を考える」ような内容のシンポジウムに招かれたことがある。驚いたことがいくつもあった。陸前高田では、学校給食が始まって以来、牛乳は市内産以外のものを使用したことがないこと。町の特産品である「ヤーコン」を学校給食のメニューに取り入れようと、栄養士が栽培されている畑まで見学に行っていること。学校給食のシステムをそれなりに理解しているものとして、これは驚きだった。「地産地消」などという言葉が、まだ認知もされていない時代のことだ。

陸前高田市は日本四大名工のひとつに数えられる「気仙大工」が知られた技術の町でもある。

「棟梁の 謡(うた)も木の香も 流れくる 矢車清しき 棟上の式」

これも、あんべ光俊が東北地方を中心に開催した「短歌コンサート」の際、陸前高田で生まれた曲。作詞は陸前高田市在住の女性。

河野さん。陸前高田は終わってなんかいない。みんな、すばらしい財産をたくさん残しながら、生きてきました。無責任なことはいえないのは重々承知しています。でも、人びとの暮らしとは関係なく、やがて春が来て花を咲かせてくれます。自然は時として信じられないほど残酷ですが、時としてとてつもない力を与えてくれます。私は信じます。自然の力を。人の力を。だから、もういっぺん。